2022.7.28の活動終了から3日

 3日経つと「本当ににじさんじからいなくなってしまったんだな」という気持ちと「本当にいなくなってしまったのか?」と半信半疑な気持ちがいつも同居している。

 自分が好きになった時から7月28日までの約1年間というのはちょうど『黛灰の物語』が佳境に入る直前で配信は積極的にしていなかった時で、さらに半年後には本人が活動に関して悩んだことで休養期間に入ったこともあり少しの期間表舞台からいなくなることが数回あったせいかまたひょっこり戻ってくる感じがしてしまうんだろうな。

 ただ次の日に投稿されたふわぐさの動画や鍵がかけられたTwitter、消えたサブ垢を確認してもう簡単なことでは戻ってこないことはわかってしまって、喪失感を少しずつ感じている。

 生前葬、スリーマンライブと一緒に見たいこともあり休んで当日はできる限り、次の日もチラチラ確認していた。自分たち視聴者は「終わらないで」と何度となく主張していたけれど、来ていた凸者も同じくらい居なくなること惜しんで黛灰を止めようとしてくれていたことが自分の気持ちが実際の声になって届いているようで少し嬉しかった。その度に申し訳ない顔をしている黛灰本人は少し可哀そうだったけど。箱内外のいろんな人が、Vやそうでない人も来ていて活動期間の3年間で本当にいろんな人と関わってきていたことが改めて分かり、推していたことが誇らしくなる配信だった。

 7月中のアーカイブはまだまだ消化できていないのに最後の配信以外が見進められていない。3日経っても急上昇を出ず、再生回数が伸びているあたり似たような人が多いのだろうか。4時間強の配信の中でソロでゲームをして、ぶるーずが集まって、視聴者と話をして、「何も準備できてない」なんてタイトルつける割にきっちりしたエンドロールを流して、あまりにも黛灰らしさが詰まった配信で見ながら自分でもよくわからないくらいボロボロ泣いてしまった。「にじさんじの黛灰」としては最後になってしまったけれど最後の最後で「黛灰の人生」が今後も続いていくこと、バーチャルの世界と相互の関わりを持てることが明かされて『黛灰の物語』として視聴者が確認できる内容としては気持ちのいい終わり方だった。

 

 RPがあるVtuberの中で更に黛灰はしっかりした設定のあるキャラクターだったと感じている。途中からはバーチャルの存在であることを理解した上でバーチャルの中の現実世界で真摯に生きていた。だからこそ黛灰というキャラクターが好きで、物語に興味を持ち、考え方や価値観に共感していた。そして黛灰の奥にいる人間を感じさせないことが普通にすごいなと思っていた。けど最後に「黛灰というものを奪ってしまうのは申し訳ない」という言葉は黛灰とその奥にいる人間からの言葉だなと感じたけどこれは聞けて良かったと思う。黛灰はあくまでバーチャルの中の、RPをされたキャラクターで奥にいる人間とは別人だ。もしどこかで誰かと出会ったとしても、その中に黛灰のようなものを感じたとしても、それは黛灰ではない。ただシンプルにその人のことを好きになれればそれは幸せなことだなと思う。

 この1年間、そして1ヶ月間楽しかったなあ。ありがとう、またね。